新宿御苑

 

 

 

 

大学一年生の課題。直前に見たウィン・バロックの影響をもろに受けているのはご愛敬としても、フジブロ2号印画紙の銀を厚盛りしたような仕上がりは、今見ても魅力がありますね。周りの台紙は酸化して元のグレーからピンクっぽく変色しているけれど、水道水で洗っただけのプリントはまったく劣化していません。今でもプリントに迷うと引っぱり出してくる原点のプリントです。Nikon F2.Nikkor28mm

つながる

ある仕事があって、ある人がいて。「あの人があの仕事を出来るように、どこかでつながればいいな」と思っていたふたつが、昨日つながった。周りのひとのおかげかもしれないけれど、最初から結びつく運命だったのかもしれない。その知らせをもらったとき、自分のこと以上にうれしかった。きっといい仕事になる。

写真家の言葉・土門拳


以下略(ニッコールレンズ読本3から)

東北、酒田の生まれ。車椅子の生活になっても執念で写真を撮り続けた、しぶとく泥臭い印象の土門拳。江戸っ子の粋な写真家、木村伊兵衛と対照的に語られることの多い土門拳だけれど、好きですよ、私は。この文章にあるような言葉を敢えて口にする人は、今の世の中では煙たがられるというか、これが書かれた70年代以上に嫌われると思う。けれどこれを書くことで鎧を纏い、傷つきやすい自分を守っていることは容易に想像が付くし、言葉の本意を思わなければならない。自分と比べることが失礼なほど才能、努力の差は明らかだけれど、ただそれでも等しく 「人生は一回きりである」ことに違いはない。そんなことを思わせられる出来事があったので、今日は敢えて鬱陶しいことを書いてみました。

GRで撮りTシャツにプリントする

まだまだ先のイベントですが、GRで撮影した写真を、Tシャツにプリントするという写真展。いつもとは用途がちがうので、写真のセレクトに迷いました。人物のストリートスナップばかり撮っていた中で、最終的にランドスケープと言ってもいい写真を選んだことが、どんなふうに見られるのか、今から楽しみです。なにはともあれ呼んでいただき、ありがとうございました。

MASAHISA FUKASE

先日、深瀬さんの写真集出版記念イベント、Tomo Kosuga / 戸田昌子 両氏のトークイベントに出かけた。もう15年近く前になるのか、ネット上で深瀬さんを検索しても、ほとんど目ぼしい情報がなかった頃、ひとつだけ、深瀬さんの掲載雑誌を網羅した妙に熱いブログがあった。それが今回のイベントのスピーカー、Tomo Kosuga さんが作ったものだった。内緒でキャプチャーして雑誌集めの参考にさせてもらった。考えてみると、今まで「鴉」ブームは続いていたけれど、「深瀬」ブームと言えるものはなかったように思う。今、それが起きようとしているのを見ると、ひとりの人間の長く一途な情熱が、こうやって実を結ぶのか!という物語に立ち会えたようで、こちらまでワクワクしてくるのだった。

以下は以前のブログで深瀬さんについて書いたことから、いくつかの覚え書き。

 

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「いつも愛する者を、写真を写すという名目でまきぞえにし私も含めてだれも幸せにはできなかった」

深瀬昌久 洋子1974

 

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「だからそこが深瀬さんの過激なところで、ぼくなんて、子供もいるし家庭があったりするけど、目はそっちへ全然行かないのよね。深瀬さんを見ていると、ふと自分の写しているものって一体何だろうなというふうに思うときがある。荒木さんだって、深瀬さんほど濃密、ストレートではないけれど、奥さんを撮り、お母さん、お父さんの亡くなったときを撮りってきちんと残しているじゃない。ぼくなんかおふくろが死んだとき、一枚も写真を撮らなかった。普通なら、写真をやっているということが根っこにあったとき、家族であるとか、肉親の死であるとかは、まあ状態によるとしても、一枚はきちんとレンズを向けるじゃない。そういうのがぼくにはない。そういう自分自身を何だろうって、ときどき思うんだよね。オレって薄情なのかなあ、なんてさ」

深瀬昌久氏との対話 「通過者の視線」森山大道

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深瀬さんの「鴉」はカメラ毎日に長期連載され、それをもとに写真集がつくられた。

シリーズの始まりはいつなのかと探してみると’76年の10月号で、

同月の銀座ニコンサロンでの個展も告知されている。

驚いたのは全てカラー作品であること。

深瀬さん(このとき42歳)の解説によると、個展は、

「モノクロームの腕によりをかけたオリジナルプリントの展示となる予定」とある。

 

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「ストロボはナショナルのPE400(GN40)、トライXでD76の原液28度C 30分の増感です」

カメラ毎日’78年1月号、深瀬昌久本人の解説から