MASAHISA FUKASE

先日、深瀬さんの写真集出版記念イベント、Tomo Kosuga / 戸田昌子 両氏のトークイベントに出かけた。もう15年近く前になるのか、ネット上で深瀬さんを検索しても、ほとんど目ぼしい情報がなかった頃、ひとつだけ、深瀬さんの掲載雑誌を網羅した妙に熱いブログがあった。それが今回のイベントのスピーカー、Tomo Kosuga さんが作ったものだった。内緒でキャプチャーして雑誌集めの参考にさせてもらった。考えてみると、今まで「鴉」ブームは続いていたけれど、「深瀬」ブームと言えるものはなかったように思う。今、それが起きようとしているのを見ると、ひとりの人間の長く一途な情熱が、こうやって実を結ぶのか!という物語に立ち会えたようで、こちらまでワクワクしてくるのだった。

以下は以前のブログで深瀬さんについて書いたことから、いくつかの覚え書き。

 

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「いつも愛する者を、写真を写すという名目でまきぞえにし私も含めてだれも幸せにはできなかった」

深瀬昌久 洋子1974

 

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「だからそこが深瀬さんの過激なところで、ぼくなんて、子供もいるし家庭があったりするけど、目はそっちへ全然行かないのよね。深瀬さんを見ていると、ふと自分の写しているものって一体何だろうなというふうに思うときがある。荒木さんだって、深瀬さんほど濃密、ストレートではないけれど、奥さんを撮り、お母さん、お父さんの亡くなったときを撮りってきちんと残しているじゃない。ぼくなんかおふくろが死んだとき、一枚も写真を撮らなかった。普通なら、写真をやっているということが根っこにあったとき、家族であるとか、肉親の死であるとかは、まあ状態によるとしても、一枚はきちんとレンズを向けるじゃない。そういうのがぼくにはない。そういう自分自身を何だろうって、ときどき思うんだよね。オレって薄情なのかなあ、なんてさ」

深瀬昌久氏との対話 「通過者の視線」森山大道

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深瀬さんの「鴉」はカメラ毎日に長期連載され、それをもとに写真集がつくられた。

シリーズの始まりはいつなのかと探してみると’76年の10月号で、

同月の銀座ニコンサロンでの個展も告知されている。

驚いたのは全てカラー作品であること。

深瀬さん(このとき42歳)の解説によると、個展は、

「モノクロームの腕によりをかけたオリジナルプリントの展示となる予定」とある。

 

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「ストロボはナショナルのPE400(GN40)、トライXでD76の原液28度C 30分の増感です」

カメラ毎日’78年1月号、深瀬昌久本人の解説から